明治45年1月 | 日本赤十字社京都支部常設救護所を開設。 (京都市上京区新町通下長者町南入ル) |
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大正15年5月 | 日本赤十字社京都支部療院と改称。病床25床。 (この年の5月1日を本院創立記念日と定める) |
昭和9年11月 | 東山東福寺畔に日本赤十字社京都支部病院(現京都第一赤十字病院)新築落成。 療院は廃止の方針であったが、地域住民の希望により業務は継続して行われた。 |
昭和16年4月 | 日本赤十字社京都支部療院乙種救護看護婦養成所を開設。 |
昭和17年1月 | 日本赤十字社京都支部中御門病院と改称。病床数50床となる。 看護婦養成所は、日本赤十字社京都支部中御門病院看護婦養成所と改称。 |
昭和18年1月 | 京都第二赤十字病院および京都第二赤十字病院看護婦養成所と改称。 |
昭和18年11月 | 木造の新築病院完成。病床数100床となる。 |
昭和24年4月 | 京都第二赤十字看護学院開設。第1回入学生15名。 |
昭和25年12月 | 看護学院を京都第二赤十字高等看護学院と改称。 |
昭和26年2月 | 府庁西側疎開地跡に石造3階建の看護学院完成。 |
昭和26年6月 | 看護学院敷地と府立聾学校跡敷地(現在の病院本館敷地)との交換契約を京都府と締結。 |
昭和27年5月 | 交換契約による敷地に病棟増築。 病床数210床(結核病棟56床)になる。 |
昭和28年5月 | 救急病棟(現在のC棟敷地の新町通側)増築工事完成。 24床を救急専用病床とし、救急患者の受け入れを始める。 |
昭和30年3月 | 救急専用病床を55床に増床。総病床数289床となる。 京都府A級基幹病院に指定される。 |
昭和31年2月 | 救急分院開設。(中京区御池通高倉)病床数40床。 |
昭和34年11月 | 人間ドック開設。 |
昭和35年3月 | 本館(現C棟)完成。病床総数564床となる。 |
昭和36年1月 | 東館(現C棟)完成。 |
昭和39年8月 | 救急分院増築完成。病床数100床となる。 |
昭和42年7月 | 南館(現B棟)完成。(昭和18年に完成した旧本館を解体し、新築) |
昭和51年5月 | 高等看護学院の名称を、京都第二赤十字看護専門学校と改称。 |
昭和53年1月 | 救命救急センター開設。(病床数40床)救急分院廃止。 本院結核病床56床を一般病床に転用。病床数625床となる。 |
昭和55年3月 | 看護専門学校独立校舎竣工。(上京区衣棚出水下ル) 1学年定員を40名に増員。 |
昭和57年5月 | 中館(現C棟南)改築工事完成。病床数680床。 |
平成7年1月 | 阪神・淡路大震災発生。救護班16個班86名、神戸赤十字病院支援要員等16名、合計102名を派遣する。 |
平成16年1月 | 総合医療情報システム(電子カルテ)開始。 |
平成16年5月 | 新棟(現A棟)建設工事完了。(SRC造、地下2階、地上7階、総延面積15,705.01m2) |
平成18年2月 | (財)日本医療機能評価機構の病院機能評価による認定を受ける(一般病院Ver.4)。 |
平成18年4月 | 京都府下で初めての「地域医療支援病院」として承認される。 |
平成19年1月 | 地域がん診療連携拠点病院の認定を受ける。 |
平成21年4月 | 敷地内全面禁煙を実施。 |
平成23年3月 | 東日本大震災発生。救護班7個班44名、石巻赤十字病院支援要員等25名、合計69名を派遣する。 |
平成23年5月 | (財)日本医療機能評価機構の病院機能評価による認定を受ける。(一般病院 Ver.6)。 |
平成23年11月 | 総合医療情報システム更新。 |
平成28年1月 | 透析室拡張に伴い、病床数676床となる。 |
平成28年2月 | (財)日本医療機能評価機構の病院機能評価による認定を受ける。(一般病院2 3rdG:Ver.1.1) |
平成29年4月 | クリーンルーム(個室)増床に伴い、病床数672床となる。 |
平成30年9月 | SCU病棟設置に伴い、病床数668床となる。 |
平成30年12月 | NPO法人卒後臨床研修評価機構による認定を受ける。 |
令和元年6月 | 病棟改修のため病床数667床となる。 |
令和2年10月 | 小児科専用病棟を廃止し、混合化(C3北病棟)した。計14病棟となる。 |
令和3年2月 | (財)日本医療機能評価機構の病院機能評価による認定を受ける。(一般病院2 3rdG:Ver.2.0) |
令和4年8月 | (財)日本医療機能評価機構の病院機能評価による認定を受ける。(高度・専門機能:救急医療・災害時の医療 Ver.1.0) |